私の結婚までの道のりは、今思えば悪戦苦闘した期間はわずか数年で非常に短いものでしたが、大変さが凝縮されたような感じでしたが、結婚後は悪戦苦闘の日々を送っていました。
私の子供の頃と言えば、内気で消極的な目立たない性格で、学生時代も女の子に対して過剰な程意識し自分から話しかけることはありませんでした。
逆に話しかけられると赤面してしどろもどろになって心臓が高鳴っていました。
26才になり父親の仕事先の部下の女性を紹介してもらい、これが初のお見合いとなりました。幸い父は仕事の関係上、顔が広いので数々のお見合い話が持ち込まれ、正直私としてはうまく行けば儲けものといった安易な気持ちで臨みそれから十数回のお見合いをしました。
お見合いは全て世話人を通して結果の連絡があるのですが、その結果が父の処にある毎に父は私に対して怒るのでした。
そんな中、初のお見合いから4年が経過した頃、母の知人の娘とお見合いすることとなり、私も30歳であせりの気持ちも出ていたことと、両親も凄くその女性を凄く褒めすぎていたこともあって、女性を充分見抜く力が無かった私はその女性と出会って4ヶ月で婚約してしまいました。
結婚までの期間はその女性とドライブへ行ったり、家族ぐるみで泊まりの旅行へ行ったりと楽しい毎日が続きました。
結婚式を迎え私の両親の同居による結婚生活が始まりました。
新婚旅行から帰って2日目に結婚届けを出しに行くこととなっていましたが、旅行からの疲れで、少しの休みが欲しかった訳ですが、その女性は強引にも役所に届けを出しに行きました。
その後、彼女の母親が実家から来た時に、その事を泣きながらその母親に告げるのでした。
その後、徐々に見合い期間には全く見えなかった彼女の本来の性格が浮き彫りになり、何かあれば私の事をあれこれ批判したり、少し私が反論すると子供がだだをこねるみたいに大きな声で泣くじゃくり、まともに話会いを出来るような状態ではありませんでした。
何かあれば彼女の母親が仲裁に入るようであったからです。
その子供じみた性格には私はほとほと嫌気をさしていました。結婚後半年が経過し彼女は同居生活に耐えられないと言い出し、アパート生活を始めるのでした。
何か自分の思い通りにいかないことがあれば物を投げたり、泣いたり、親に言いつけたりでまともな話し合いができませんでした。
アパートへ引越しする少し前に彼女の母親の干渉ぶりに腹を立て私と彼女の両親との間で亀裂が入っていていました。
アパート生活1ヶ月半が過ぎた頃、私の母親と彼女との間で問題が生じ、このことで彼女と口論となり、問題を正すために両者の意見を聞くために私一人で私の実家へいきました。そこで実際は両者の意見に大きな食い違いがありました。
当然、彼女には置き手紙を置いて出てきたのです。
私と両親との話し合いで翌日にアパートへ戻ると自分の鍵が鍵穴に入らないのです。
一瞬、部屋を間違えたとも思いました。しかし間違いないことがわかり、私のいない間に鍵が変えられていたのです。
ドアを叩いても彼女は中にいる気配がしません。
ある日、自分の預金残高を調べました。そうしたら5百万ぐらいあった預金が残高数十万になっていました。しかも結婚後、数日してからこまめに3万〜5万円引き出されていることがわかったのです。
なんと彼女の母親はそのことを知っていたようです。
1ヶ月が経過し家庭裁判所より調停の案内が届き、彼女が離婚調停の申請をしていることがわかりました。
それから2ヶ月間十数回家裁に足を運んだのち、正式に別れました。
私は結婚生活を続けていくのには限界を感じていましたので、お金には未練もなくきれいさっぱりとけりをつけました。 |
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