再婚して約1年が経過し妻が妊娠していることが分かりました。
赤ちゃんの誕生は私たちが待ち望んでいたことです。
妻より赤ちゃんが出来たとの知らせを聞いた時のその喜びといったら普通ではありませんでした。
赤ちゃんの誕生まではまず女の子だろうか男の子だろうかと考えたり、それぞれの性別の場合の名前を考えたりと毎日が楽しいものでした。
妻のお腹の中で成長していく子供が動いたりしている時の喜びはひとしおでした。
胎教に良いと思われるCdを聞かせたり、妻が通っていた産婦人科が催すミニコンサートへこまめに行ったりもしました。
又、通院の際に医者から聞かされる赤ちゃんの心臓の鼓動を聞くことも楽しみでした。
赤ちゃんの動く姿のエコーのビデオをとってもらって持ち帰ってみたりもしました。
前々より私は立会い出産を希望していましたのでので、会社を休み出産当日は立ち会うことにしました。
初産ではありましたが、私から見て案外軽かったように思えましたが、本当の処はその苦しみは本人しか分かりません。
赤ちゃんは元気良く生まれ、第一声をちゃんと聞きました。
赤々とした元気な女の子が生まれてきました。
緊張の一瞬でした。妻は自分が生んだことに感動し、取り上げてくださった助産婦さんに感謝の気持ちで一杯だったのでしょう。涙を浮かべて感謝の言葉をかけていました。
この瞬間というものは母親にとってはそれまでの間、苦しむだけの甲斐はあるでしょう。
何物にも代えがたい喜びだと思います。
私は直ぐ両親へ電話し、このことを報告しました。
両親は喜んでくれ、赤ちゃんの声が生まれた時に聞こえたかを確認され、以前からそのことは聞かされていたので、自分自身の耳で間違いなく聞いたことを伝えました。
出産した病院は生まれても直ぐに誰にも抱かせることはされず、1週間後に抱かせてもらうという規則になっているようでした。
生まれたその日は保育器に入っている赤ちゃんをガラス越しに、ずっと見続け手足をばたばたと動かす姿が何とも言えない愛らしさを覚えました。
その後、赤ちゃんの病気について知ることとなり、一挙に奈落の底に突き落とされる重いでした。
生まれた翌日は仕事の都合で夜遅くしか妻の入院している病院へ行くことはできず、
少しだけしか赤ちゃんの寝ている姿を見ることができませんでした。
3日目の朝より会社での仕事を終えた後、真っ先に病院へ向かうつもりでいました。
夕方の6時丁度でした。
妻より病院から会社へ電話があり、多分、何か病院へ持ってきてほしい物などがらうのだろうと安易に思い、電話を取り次ぎました。
電話を替わった瞬間、妻のいつもの明るい声が聞こえてくるものと思っていました。
私には何が起こったのかさっぱりわかりません。
気が動転している妻は暗いトーンで小声で何か意味不明のことを言っていました。
暫く時間が経過してから妻が正確に話してくれるようになりました。
赤ちゃんがその日の昼から急に動かなくなり、心臓が一時停止していたということでした。つい先程、救急車で別の病院へ運ばれたばかりということでした。
私は真っ先に車で病院に向かいました。
その道中は子供が助かるように必死に祈っていました。
下道でその時間帯であれば早くても1時間半を要するところを高速を使い丁度1時間で到着しました。
向かった病室は集中治療室です。
私を待っていてくれた看護婦さんは笑顔で応対してくれましたので、少し安心しました。
しかし赤ちゃんがいる処まで案内してくれて行って見ると、ベッドに寝かされ全身が真っ黒になり胸を激しく膨らませたりしぼませたりしている赤ちゃんを目にしました。
か弱い腕二数箇所の点滴の針が入れられている凄い痛々しい姿を見て涙がこみ上げてきました。生まれて2日後に何ともいえない哀れな姿でした。
2日日前の誕生の喜びとは全く正反対の悲しみで奈落の底に突き落とされた思いでした。
担当医からの状況の説明を聞かされました。
病名は”左心低形性症候群左心房閉鎖”でした。
この病気は心臓の左心房、左心室に異常をきたしている病気で手術をする必要があるということでした。
|
|
|