生後直ぐには体も小さいし手術に耐えられるだけの体力も無いとかで、最低は1ヶ月の命とのことでした。
しかし手術して命が助かる可能性は1%ということでした。
それから赤ちゃんとの辛い日々の始まりです。
次の日から会社の仕事を終えたあと、真っ先に病院へ向かう毎日が続き、集中治療室にいる赤ちゃんの様子を見るのでした。
私が行ったところで病気が良くなるわけではありませんが、常に事態が急変しないかという不安がありましたので、手足を動かさないまでも上向きで眠り続けている姿を見るのと、担当医からの説明を聞いて自分を落ち着かせる日々でした。
しかし翌日になると不安がよぎり仕事中でも仕事に打ち込めない毎日が続きました。
妻も1週間後、体力が完全に回復されておらず、更に精神的な疲れもあるにも関わらず、通院を続けました。
私が仕事を終え病院へ行くと既に治療室の中に入り、赤ちゃんの体を塗れたガーゼで拭いたり、音楽を聞かせたりと凄くけな気でした。
私が病室に入り赤ちゃんに近づくと看護婦さんからの説明があることもあり、事情を言って点滴を増やしたとのことでした。
確かに日増しに点滴の数が行くごとに1本〜2本増えています。
小さい体に小さい腕、小さい手のひらに多くの点滴は凄く痛々しかったです。
けれどその痛みをまるで感じないかのように微動足りともせず上向きで眠り続けています。そういった中、たまに瞼をちょぼつかせたり、手の指を少し曲げたりしてくれると凄く嬉しかったものでした。
周りには色々な事情で入院している子供たちがたくさんいて見かけ上は私の子供となんら変わりはないのではないかと思えるほどでした。
その子供たちが病院へ訪れるたびに退院していくのをみて早く私の子供もそのようになって欲しいと願うのでした。
そういった状態が約1ヶ月を経過し病院の部長様より手術の話がありました。
その内容は手術しか他に手は無いということでした。
このまま放っておくのは100%死んでしまうのは間違いなし、少しの可能性にかけるということでした。
そのとき覚悟はしていましたが部長様の言葉が大変、心に突き刺さる思いでした。
体は少しづつ小さくなってきてはいましたが、赤ちゃんの小さい命を何とかして助けてあげたいという思い出一杯でした。
手術当日がきました。
手術時間の30分前に病室へ入りました。
いよいよ手術の時間がきました。
数人の看護婦が微笑みを浮かべ私たちを少しでも和ませようとされていました。
ベッド毎移動されていくわが子の姿は点滴だけで生きながらえてきただけに、生まれてきた時の大きさよりかなり小さくなっていました。
どうか助かって欲しいとの思いです。妻も必死に願っていたことと思います。
病院は6階建てで手術は最上階、控え室は地下室でした。
私や妻の両親や知人が来てくれて私たちを元気付けてくれていました。
手術の状況は看護婦より伝えてくれることになっていましたが、逐一報告されるものではありませんでした。
そうこうしているうちに午後2時ごろだったかと思います。
看護婦が控え室へ来られ「手術は順調に進んでいます。」とのことでした。
その一言で不安が一掃されました。
夕方になり今日は控え室で一泊しようと思い妻に着替えや食物を運んでもらおうと思い、妻は私の両親といっしょに自宅に帰りました。
その後、朝から緊張が続いていて体はかなり疲れていた為でしょう。私はいつの間にか眠ってしまいました。
妻たちが帰った後、3時間は眠ってしまったかと思います。
控え室にけたたましく鳴り響く内線電話の音で飛び起きました。
電話をとると「直ぐ手術室へ来てください」とのことでした。
その電話でまたもや私に緊張感がはしりました。
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